安房の国札三十四カ所観音霊場巡礼は、鎌倉時代、後堀河天皇在位の貞永元年(1232年)、悪疫が流行し、飢饉にも襲われるなど、世情が惨憺たる有様だったことに心を痛めた時の高僧たちが相図って、安房国内に奉安する観世音菩薩にご詠歌を奉納し、厨子の帳を開いて巡り、拝んだことに始まるといわれています。
観世音菩薩は、とくに日本では古代より広く信仰の対象となり、観音様として一般に親しまれてきました。観世音は南インドに住んでいて、あまねく衆生を救うため相手に応じて三十三の姿に変身して救済の手を差し伸べるといわれています。
各地の霊場巡礼は平安時代中頃に始まったとされています。はじめは一部の修験者、修行者が諸国の霊場を巡って信仰を深めるとともに、巡礼そのものが修行でした。室町時代の半ば以降は一般の信者も巡礼を行うようになり、平和が長く続き、街道が整備された江戸時代になると盛んになりました。
巡礼者たちは、笈摺(おいずる)という袖無しの白い羽織、白い脚絆と手甲をつけ、金銅杖に数珠や鈴などを持ち、お経や札所ごとに定められたご詠歌(巡礼歌)を唱いながら巡礼しました。胸には札箱、または紐に通した木札をかけ、この札を霊場に一枚ずつ納めながら巡礼していきました。
札所をいくつもまわる巡礼としては、四国八十八霊場をめぐるいわゆる「お遍路さん」は現代でも大勢います。
ご詠歌とは、霊場の巡礼者や浄土宗信者の歌う,仏や霊場をたたえる歌です。和歌や和讃に単調で物悲しい節をつけ鈴(れい)を振りながら歌います。
詠歌の発祥はわかっておらず、基本字数は短歌と同じですが、季語を入れたり、韻をふんだりといった芸術性はありません。とてもストレートに寺ごとの特徴や、祀られた観世音菩薩の功徳を讃えるものばかりです。なぜならご詠歌は、巡礼する庶民にわかりやすく仏の存在を知ってもらうためのものだからです。
各寺ごとに存在するご詠歌を歌いながら、意味を噛みしめ風情を感じるのも、巡礼の楽しみといえるでしょう。
安房の観音霊場の御開帳は五、七年ごとで、丑歳と午歳に開かれます。巡礼は、以前は七、八月の夏季と三、四月の春季の年二回、開帳期間を定めて行われていましたが、近年は春季一回になっています。
古寺巡礼は、古くはその過程が修験者の修業そのものでしたが、現代に置き換えてみると良質な観光資源です。建てられてから数百年が経過した堂宇、古人の魂が籠った彫刻、太古以来の自然と巨木、修行者たちが眺めたのとほとんど変わらない絶景、都会の喧騒にはない静寂が一体となり、非日常の空間と時間からパワーをもらうことができます。
きれいにお膳立てされた観光地がもっている近代的な空気とは違った、昔ながらの空気を五感で感じる贅沢な「巡礼の旅」を体験してみてはいかがでしょう。